MENU

【体験談】再雇用で給料が半分になった現実と、それでも続けることにした理由

当ページのリンクには広告が含まれています。
【体験談】再雇用で給料が半分になった現実と、それでも続けることにした理由

給与明細を開くのが怖い、と思ったのは、あの月が初めてだった。

定年から一夜明けて再雇用の初給与が振り込まれた日。金額はもちろんわかっていた。
契約のときに説明を受けていたし、おおよその計算もしていた。
それでも、実際に数字を目にしたとき、胸の中に何かが沈んでいくような感覚があった。お金の問題だけではない、と気づいたのは、もう少し後のことだ。

この記事では、再雇用という制度のリアルを、私自身の体験を通してお伝えしたい。
給料が半分近くになった現実、揺らいだ居場所とプライド、それでも同じ職場で働き続けることを選んだ理由。
同じ立場の方に「自分だけじゃなかった」と思ってもらえたら、それだけで書いた甲斐がある。

目次

給料が半分になった、あの日のこと

定年前と定年後の給与明細、並べてみると

定年前の最後の給与明細と、再雇用初月の給与明細。
私はそれをスマートフォンのスクリーンショットで並べて保存している。
今でもたまに眺めることがある。別に自分を追い込みたいわけではない。
ただ、あの落差を「なかったこと」にしたくない、という気持ちがあるのだと思う。

数字で言えば、月収がおよそ4割減だった。
手取りにすると、毎月の生活費を見直さなければならない水準だ。
これは私だけの話ではない。再雇用後の給与相場は、現職時の給与から4割減〜6割減になるケースが多いとされており、統計を見ても男性の平均給与は55〜59歳をピークに、60〜64歳では段階的に下がっていく。
制度として「そういうもの」だとわかっていても、自分の番が来たとき、覚悟と現実の間には確かなズレがある。

「わかってはいたけれど」──数字で見る現実の重さ

再雇用の話が会社から来たとき、私はすぐに了承した。
年金の受給開始まで間があること、妻がパートをしているとはいえ家計の柱は自分であること、そういった現実的な計算が頭を支配していたからだ。
「給料は下がるけど、まあ仕方ない」と自分に言い聞かせながら、ハンコを押した記憶がある。

ところが実際に明細を見ると、「仕方ない」という言葉が急に軽く感じられた。
各種手当が再雇用後にゼロになる項目もあった。
役職手当は当然なくなる。住宅手当も消えた。基本給だけが圧縮されて残る形だ。
人事コンサルタントの実感として、定年再雇用後の給与水準は定年前比で60〜70%程度になるケースが多いという。
私の場合もそれに近い幅だった。

数字を「知っている」ことと、数字を「生きる」ことは、まったく別の話だと、あの月に初めて理解した。

お金より先に崩れたもの──居場所という問題

後輩が「上司」になる日

再雇用になって最初に戸惑ったのは、給料の話ではなかった。
職場での立ち位置が、音もなく変わっていくことだった。

定年前、私は営業部門で20年以上働いてきた。
管理職ではなかったが、それなりに経験を積み、後輩たちの相談に乗る機会も多かった。
「田中さんに聞けばわかる」と言われることが、密かな誇りでもあった。
ところが再雇用になった途端、その空気がじわじわと変わり始めた。

変化は劇的なものではない。会議の席順が少し変わった。
メールのCCから自分の名前が外れることが増えた。後輩のAくんが主任に昇格し、書類の決裁が彼のハンコを経由するようになった。
制度上は当然の話だ。でも当然だとわかっていても、最初にAくんの決裁印が押された書類を受け取ったとき、胸のどこかがちくりとした。

朝の挨拶が、なぜかぎこちなくなった

もう一つ、小さいけれど地味に効いたのが「朝の挨拶」だった。

定年前は自分から「おはよう」と声をかけると、周りが自然に返してくれていた。
再雇用になってからも、やり方は同じつもりだ。
でも、何かが微妙に変わった気がする。後輩たちが私にどう接していいか迷っているような、そんな空気が漂うことがある。
彼らに悪気はないと思う。こちらも責めているわけではない。
ただ、以前あった「なじみ感」が、少しずつ薄れているのを感じた。

「プライドの問題というより、『自分は何者なのか』という居場所の問題。
会社の評価=自分の価値になってしまうと、再雇用はどうしても苦しくなる」という指摘を、後になってウェブ記事で読んだとき、まさにこれだと思った。
私が感じていたぎこちなさの正体は、肩書きや給料の話ではなく、「この場所での自分の意味」が揺らいでいることへの戸惑いだったのかもしれない。

人間は案外、「ここに自分の席がある」という感覚だけで、かなりの不安を乗り越えられる。
逆に言えば、その感覚が揺らぐと、給料の数字よりずっと深いところが傷つく。
再雇用の一番きつい部分は、そこにあるのではないかと、今は思っている。

プライドとの折り合い、どうつけたか

「プライドを捨てろ」という言葉が嫌いな理由

再雇用の話をすると、たまに「プライドを捨てなきゃダメだよ」と言う人がいる。
善意からの言葉だとはわかっている。でも、私はこの言葉がどうも好きになれない。

プライドを捨てる、というのは一見潔く聞こえる。
しかし実際のところ、20年以上かけて積み上げてきた経験や、仕事への向き合い方、自分なりの仕事の流儀、そういったものまで丸ごと手放せと言われているような気がするのだ。
給料が下がることや、立場が変わることは受け入れるしかない。
でも「これまでの自分を否定しろ」という話とは、本来まったく別のはずだ。

再雇用で苦しくなる人の多くは、プライドが高すぎるのではなく、プライドの置き場所を見失っているのではないかと思う。
肩書きや給料に乗せていたプライドが、その台座ごとなくなってしまったとき、どこに立てばいいかわからなくなる。
それが本当の苦しさだと、私は自分の経験から感じている。

私が見つけた、小さな折り合いのつけ方

では実際に、どうやって折り合いをつけたか。大げさな答えはない。
私がたどり着いたのは、ごく小さな、地味な方法だった。

一つは、「評価される場所」を職場の外にも作ったことだ。
地元のシニアサッカーチームに入り直した。
そこでは会社の肩書きは関係ない。体が動くか、仲間と楽しめるか、それだけが基準だ。
週末にそこへ行くことで、「会社での自分」だけが自分のすべてではないという感覚を、少しずつ取り戻せた気がする。

もう一つは、視点を切り替えたことだ。
定年前は「自分が引っ張る」立場だったが、再雇用になってからは「若い人を支える」役割に徹することにした。
押しつけにならないよう気をつけながら、求められたときだけ経験を話す。
そのスタンスに変えてから、職場での居心地が少しだけ楽になった。
プライドを捨てたわけではない。プライドの向け先を変えた、という感覚に近い。

完全にすっきりしたわけではないし、今でもふとしたときに複雑な気持ちになることはある。
それでも、「折り合い」というのは完全な解決ではなく、少しずつ慣れていくことなのだと、最近は思うようになった。

それでも続けることにした、3つの理由

お金の話──現実的な計算をした結果

続けることを決めた理由を、正直に書く。
一番最初に頭に浮かんだのは、お金のことだった。
感情的には複雑でも、家計の計算はシンプルだ。

年金の受給開始は原則65歳だ。
私が再雇用になったのは60歳で、そこから65歳までの5年間は、何らかの収入がなければ貯蓄を取り崩し続けることになる。
妻のパート収入はあるが、それだけで家計が完結するほどではない。
住宅ローンの残りもまだあった。給料が半分になってもなお、働き続けることのほうが家計として現実的だという、シンプルな計算が先に立った。

再雇用時の賃金が60歳時点と比べて75%未満に低下した場合、雇用保険から「高年齢雇用継続基本給付金」が支給される制度がある。
私はこの給付金の存在を、再雇用になってから初めてきちんと調べた。
申請すればいくらか手元に戻ってくる。知っているかどうかで、手取りは変わる。
お金の話を感情で避けないことも、続けるための現実的な準備の一つだと気づいた。

居場所の話──家にいるより、ここにいたかった

再雇用になった当初、一度だけ「いっそ辞めて家でのんびりするか」という気持ちが頭をよぎった。
しかし、実際に長期休暇で一週間家にいたとき、それが自分には向いていないとすぐにわかった。

午前中に手持ち無沙汰になった。
妻のペースを乱している気がして、居心地が悪かった。
昼間からテレビを見ていても、どこか落ち着かない。
結局、近所をふらふらと散歩して、夕方を待つような一日を繰り返した。
それで気づいたのだ。職場というのは、仕事をする場所であると同時に、「一日の自分の置き場所」でもあったのだと。

給料が半分になっても、毎朝決まった時間に起きて、電車に乗って、誰かと言葉を交わして、役割を持って一日を終える。
その構造が、自分にとっての「普通」であり、なくなって初めてわかる安定だった。
職場の居心地が多少変わっても、家よりここにいたい、というのが正直な気持ちだった。

意味の話──誰かの役に立てている、という感覚

三つ目の理由が、一番言葉にしにくい。でも、一番大事かもしれない。

再雇用になって役割が変わった中でも、若い同僚から「田中さん、あの案件どう思いますか」と声をかけられることが、たまにある。
大げさな話ではない。ちょっとした相談だ。
でも、そのたびに自分の中の何かが、すっと落ち着く感覚がある。「まだ、使える」という手応えではなく、「ここに自分の役割がある」という、もっと静かな感覚だ。

60歳以降も働いて社会とのつながりを保つことは、健康や生きがいにもつながるという指摘を、年金の解説記事で読んだことがある。
理屈としてはわかっていたが、実感として腑に落ちたのは働き続けてからだ。
誰かの役に立てているという感覚は、給料の額とは別のところにある。
それが、私が続けることを選んだ、最後の、そして一番深いところにある理由だった。

同じ立場の人へ──再雇用を「どう生きるか」

うまくいっている人と、しんどい人の違い

再雇用になってから、同じような立場の知人と話す機会が増えた。
その中で、なんとなく気づいてきたことがある。
うまくやっている人と、しんどそうにしている人の間には、能力や経験の差よりも、もっとシンプルな違いがあるようなのだ。

一言で言えば、「定年前の自分と、定年後の自分を別人として扱えるかどうか」だと思う。
しんどそうな人ほど、かつての肩書きや待遇を現在の物差しとして使い続けている。
「あの頃はこうだった」という比較が、今を余計に苦しくさせてしまう。
一方、うまくやっている人は、過去の自分を大切にしながらも、今の立場で何ができるかに意識を向けている印象がある。

データを見ても、その傾向は裏付けられる。
大規模調査によると、60代前半において満足度が高いのは転職した人よりも同じ会社で再雇用で働く人だったという結果が出ている。
多少収入が下がっても、慣れ親しんだ環境で経験を活かせることが、満足感につながるのだろう。

60代の働き方、正解は一つじゃない

もちろん、再雇用が全員に合っているわけではない。
職場の環境や人間関係によっては、続けることが精神的に限界という場合もある。
転職や独立という選択にも、それぞれの意味がある。

私が言いたいのは、「どの選択が正しいか」ではなく、「自分が選んだ理由を自分で持てているか」だ。
誰かに言われたから続けている、なんとなく辞めるタイミングを逃した、という状態で働き続けることが一番しんどい。
逆に、自分なりの理由があれば、給料が半分になっても、立場が変わっても、それなりに踏ん張れる。
少なくとも、私はそう感じている。年金の給付水準が厳しくなる一方で物価が上昇しており、働けるうちは働きたいという人が増えている現実もある。
60代の働き方に、唯一の正解はない。あるのは、自分にとっての理由だけだ。

FAQ──再雇用にまつわる正直な疑問と答え

Q1. 再雇用後の給料が下がりすぎていても、我慢するしかないのでしょうか?

必ずしもそうではありません。
「同一労働同一賃金」の原則により、再雇用後も定年前と同じ業務をこなしているにもかかわらず大幅に賃金を下げることは、不合理な待遇差として違法になる場合があります。
あまりにも極端な減額が納得できない場合は、会社の人事担当窓口や、労働基準監督署への相談が選択肢として考えられます。ただし、詳しい判断は労働問題に詳しい専門家にご相談されることをおすすめします。

Q2. 「高年齢雇用継続基本給付金」とは何ですか?私ももらえますか?

60歳以降も働き続けている方を対象に、雇用保険から支給される給付金です。
再雇用後の賃金が60歳時点と比べて一定割合以上下がった場合に申請できる制度で、条件を満たせば毎月の手取りを少し補てんする効果があります。
申請はハローワークを通じて行いますが、会社が手続きを代行してくれるケースも多いので、まず人事担当者に確認してみるといいでしょう。

Q3. 再雇用を会社から断られることはありますか?

高年齢者雇用安定法により、65歳未満の社員が働き続けたいと申請すれば、企業は希望者全員を再雇用することが原則です。
ただし、正当な解雇理由がある場合や、本人が提示された労働条件に合意しないケースでは、企業側が再雇用を拒否できる場合もあります。
明らかな理由なく拒否された場合は、専門機関への相談を検討してください。

Q4. 再雇用後、職場での自分の立場をうまく保つコツはありますか?

多くの経験者が共通して言うのは、「定めた役割に徹すること」と「求められたときにだけ経験を出すこと」の二点です。
かつての地位と比べるのをやめて、今の立場でできることに集中すると、周囲との関係が自然と落ち着いてくる場合が多いようです。
正解は一つではありませんが、「支える側に回る」という意識の切り替えが、居心地をよくする入口になるケースは多いと感じています。

Q5. 再雇用で働きながら、年金の受け取り方に工夫はできますか?

65歳から受け取るのが原則ですが、繰り下げ受給という選択肢があります。
受給開始を66歳以降に遅らせることで、毎月の受給額を増やすことができる制度です。
再雇用中に一定の収入があるなら、年金を急いで受け取らず、繰り下げることで長期的な受取総額を増やせる可能性があります。
ただし、健康状態や家計の状況によって最適な判断は異なるため、年金事務所やファイナンシャルプランナーへの相談をおすすめします。

まとめ──続けると決めたあの日の自分へ

給与明細を開くのが怖かった、あの日のことを、今でも時々思い出す。
数字を見て胸が沈んだこと、居場所が揺らいだこと、朝の挨拶がぎこちなくなったこと。
あの頃の自分に声をかけられるとしたら、「大丈夫、慣れる」とは言わない。
そう簡単には慣れないし、複雑な気持ちは今もゼロではないからだ。

ただ、こうは言えるかもしれない。
「給料が半分になっても、失うものばかりじゃなかった」と。
続けると決めたことで、自分の中に残っていた役割への意欲に気づいた。
プライドの向け先を変えることを覚えた。家
族のためだけでなく、自分の「一日の置き場所」のために働くことの意味を、初めてちゃんと考えた。

再雇用という選択に、華やかさはない。
給料は下がり、立場は変わり、割り切らなければならないことも多い。
それでも、自分なりの理由を持って続けることは、誰かに誇れる話ではないとしても、自分を支える静かな柱になる。同じ立場で今日も職場に向かっている誰かに、この記事が少しでも届けばと思っている。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次